猫のあくび 文具と猫と日常と

文房具の話や趣味のハンドメイドなど好きなコト語ります…

日曜日の夜の憂鬱

1週間の始る前夜

勤めていた頃は月曜日は憂鬱でもあり、楽しみでもあった。通勤電車が苦痛だったのが憂鬱の原因で、仕事自体はわりと好きでやっていたので、今週はあれをやろうこれを進めなきゃとわりと前向きだったので。

今現在は週の頭という感覚はあっても、可もなく不可もなくな時間となっている。ある意味子どもが学校などに行くからその分時間が出来るとも言えなくもないし…

今週やらなきゃいけない事を思い出す時間

でも時間が出来るからこそ、あれやらなきゃ…の思考も戻ってくるので、週の始まりと言えばそれも間違いでは無いのかな。子どもがまだ私にべったりなので、いる時間はある意味何も出来ないので。

しばらくしたら勝手に離れていくだろうから、今はそれも子育ての醍醐味かと思っているけれども…やはり自分の時間も欲しいので週の何処かで自分の好きなことをやる時間を作るようにはしている。

それ以外にも当然やらなきゃいけない事はそれなりにあるので、日曜日の夜はそれらの事に思いを馳せる時間でもある。ある意味平和な時間だなぁと思う。

サザエさん症候群

サザエさんを見ると月曜日が来ることを思い出し憂鬱になるという症候群らしいが、私も日曜日の夕方に憂鬱になってた事は確かにあった…仕事が行き詰まっている時や、もっと遡れば学校に行きたくなかった子どもの頃や。

登校拒否予備軍だったころ

小学校と高校以降は楽しかった記憶しか無いが、何故か中学校が嫌いだった。授業はどうでも良かったのだが、何故かクラスに馴染めず行き場が無かった…保健室登校というものがあるが、私は図書館に籠ることが多かった。まぁ、部活では楽しくやってたので、本当にクラスが苦手なだけだったんだろうけど。

いじめがあったのかと言われると、そうゆう訳でもなかったと思う…多分。まぁ周りから見ればそう見えることもあったかもしれないが、ただひたすらに馴染めなかっただけのような気もする。教室にいる私はずっと本を読んでいて、周りをシャットアウトすることで教室に居ることに耐えていた。

今にして思えば、別に学校に行かないという選択肢もあったのだよな…と思うけれど、何故か当時の私は学校へ行くことに拘った。学業的には別に授業を聞かなくてもそれほど苦労はしなかったので、高校に受かって卒業さえ出来ればそれで良かったのに。

友達には「変なところが真面目だ」と言われたが、本当に当時の私は無駄な所でエネルギーを使ってたなぁと思う。

行かない権利と行かない勇気

義務教育は受けさせる義務が親にはある、でも子どもには行かない権利もあると思う。うちの親は特に教育熱心でも無かったので、行きたくないと言えば無理やり行かせる事も無かったのだろうが、私は毎日学校に通った。今思い出すと「普通」から外れる事への抵抗や恐怖があったのかもしれないし、親に心配かけるのも嫌だった。

どうやら先生はいじめがあるのではと心配して、うちの母に話があったらしいが…「いじめられてはいない」ときっぱり否定した記憶がある。それは、子どもなりのプライドだったのかもしれない。

登校拒否を行うにはそれなりの勇気が必要で、私にはそれが無かったとも言える。

自分が親となって

もし子どもが学校に行きたくないと言ったら、たぶん特に止めないと思う。その分、勉強は教えるなりなんなりして最低限はやらせるけど。「行かない」と言える勇気があり、学校にそれなりのストレスを感じる要因があるならフォローは惜しまないと思う。

それは自分の経験から行きたくない学校に行くことがどれほど苦痛か分かるからであって、決して逃げる事を推奨する訳ではないけれど。

でも本当に辛ければ逃げるのも1つの手段だとは思っている。それを知らぬままに大人になって、最終的に体を壊して身動きがとれなくなったのは他ならぬ自分だから…子どもには同じ轍を踏んで欲しくない。

やはり日曜日の夜はブルーになる

なんとなくブルーな気分に流されて、ぐたぐだと書いてしまった…やはり今でも少し週の頭は苦手なのかもしれない。救いなのは子どもが楽しそうにしてる事かな…人見知りとは無縁な性格の子で良かったと思う。もう少し相手の事を考察出来るようになれば、対人スキルは私よりずっと上がると思われるのでそれに期待しよう。